Sacrifice〜おまけ〜
目の前の地獄へ通じる扉を開けられて、その肩をとんと押されたジェレミアの身体は、よろめきながら部屋の中へと入り込んだ。
その背後から扉の閉められる絶望的な音が聞こえて、ジェレミアは慌てて堅く閉ざされた扉に取り縋る。
「・・・あ、開けろッ!」
「駄目です!」
「く、枢木!!お前も一緒に来てくれるのではなかったのか!?」
「冗談言わないでください!僕はジェレミア卿と心中する気はありません」
「ふざけるな」と扉の向こうのスザクを怒鳴りつけて、ジェレミアは必死で扉を開けようと試みるが、ジェレミアの人並みはずれた力で押しても、それは少しも動かなかった。
一体何がどうなっているのかわからずに、扉に耳を当てて外の気配を窺うと、くすくすと少女のような笑い声が聞こえてくる。
「・・・C.C.!?」
「ジェレミア卿。いい加減に諦めてください。この扉は僕とC.C.が築いたバリケードで外から押さえつけてありますから、貴方の力でも絶対に開けられません。どうしても逃げ出すと言うのなら壁を壊すか、窓から飛び降りるかしか方法はありませんよ」
「馬鹿だなスザク。そんなことをしたらルルーシュが臍を曲げるぞ?」
「それもそうか・・・」
「・・・お、お、お、お前らぁぁぁッ!!」
外の二人に完全に遊ばれていると気づいたジェレミアの怒りは頂点に達していた。
「私にこんなことをして、ただで済むと思っているのか!?」
「脅しても無駄ですよ〜!」
「貴様ら!今すぐにここを開けろ!!」
頭に血を上らせて、怒鳴り散らすジェレミアは周りが見えなくなっていた。
そこがどこかも、すっかりと忘れている。
「そんなに大声を出すとルルーシュに気づかれますよ!?」
その言葉に、現状を思い出したジェレミアはぎくりと身体を強張らせた。
気を落ち着けて、部屋の奥の気配を探れば、間違いなく、不機嫌オーラを撒き散らしているルルーシュの気配が感じられる。
「た、頼む・・・怒らないからここを開けてくれ・・・」
外の枢木に縋るように懇願するジェレミアの声は、さっきとは打って変わって、囁くような小声だった。
ルルーシュの気配に完全に怯えているのだ。
「く、枢木?聞こえているのだろう?お前がここを空けてくれたら、わ、私はお前の言うことをなんでも聞いてやる・・・だから・・・」
「そんな甘いことを言っても駄目です!貴方一人の犠牲で多くの人がルルーシュの災難から救われるのですから諦めてください」
「そ、そんな・・・私はまだ死にたくない!」
「主君に殺されるなら、臣下の冥利に尽きるというものではないか?」
「C.C.。そんな大袈裟な・・・」
いつの間にかジェレミアの懇願の声は聞こえなくなって、代わりにすすり泣く音が扉の向こうから聞こえてくる。
「・・・泣かせてしまったぞ?」
「・・・あ、本当だ」
「開けてやったらどうだ?」
「それは絶対駄目!」
「・・・・・・・・スザク。お前、時々ルルーシュより怖いな・・・」
ルルーシュの部屋の中に完全に閉じ込められてしまったジェレミアは、閉ざされた扉の前で崩れるように座り込み、どうしていいのかわからずに泣いていた。
唯一の出入り口である扉が開けられない以上、スザクが言ったように壁を壊すか窓から飛び降りるしか、この部屋から逃走することはできない。
ここがルルーシュの部屋でなかったら、ジェレミアは躊躇いなくそれを実行しているだろう。
しかしそれができないのだから、諦めるしかないのだ。
閉ざされた扉に縋るように凭れかかったジェレミアは、項垂れていた。
「・・・ジェレミア?」
突然、頭上から聞こえてきた声に、ジェレミアはビクリと身体を強張らせた。
俯いたいた顔を恐る恐る上げると、ルルーシュが座り込んでいるジェレミアを見下ろしている。
ジェレミアは慌てて服の袖で顔を拭い、ルルーシュの前で姿勢を改め膝をついて頭を下げた。
「騒がしいと思って来てみれば、お前・・・こんなところでなにやってるんだ?」
「・・・あ、あの・・・ご機嫌が・・・いえ、陛下の御加減が優れないとお聞きしたので、それで・・・」
「スザクに連れて来られたのか?」
「・・・はい」
小さく溜息を吐いて、ルルーシュは「とりあえずこっちへ来い」と言って、筋肉痛に痛む足を引きずるようにして部屋の奥へと向かった。
その後にジェレミアは仕方なく従う。
ジェレミアが見たルルーシュは不機嫌な顔はしてはいるが、スザクが言ったほどもの凄く機嫌が悪いようには見えなかった。
部屋の中の長椅子に腰を下ろしたルルーシュの前に跪き、深く頭を下げたジェレミアは、ルルーシュの気配に全神経を集中させる。
緊張はしているものの、さっきまでルルーシュに懐いていた恐怖は若干薄らいでいた。
「・・・で、お前はなにを泣いていたのだ?」
「な、泣いてなどおりません」
「嘘を吐くな。目が赤いぞ?」
「き、気のせいです!どうか私のことなどお気になさらないでください。それより、陛下。お顔の色があまり優れないようですが・・・?」
「貧血のことを言っているのか?」
「はい」
「・・・スザクから聞いたのか?」
「・・・はい」
「まったくアイツは余計なことを・・・」
「あ、あの・・・大丈夫、なのですか?」
「貧血はもう大丈夫だ。心配をさせて悪かったな」
「いえ・・・」
「それより辛いのは筋肉痛だ。あれしきのことでこんなになるとは思わなかった・・・。体中が軋むように痛くて思うように動けない」
「よろしければ、お揉みいたしましょうか?少しは楽になるかと存じますが・・・」
「・・・そうか?では、頼もうか」
「はい」
そう言って、ルルーシュの身体をうつ伏せにさせると、脚や腰、背中や腕の固まった筋肉を揉み解すように摩った。
大人しく、ジェレミアにされるがままになっているルルーシュは、やはりそれほど機嫌が悪そうには見えない。
「あ゛〜」とか「う゛〜」とかツボを刺激されるたびに、妙にオヤジ臭い声を出しているルルーシュに、ジェレミアは苦笑を浮かべる。
「・・・ジェレミア」
「はい。陛下」
「・・・その呼び方は止めてくれ。ルルーシュでいい・・・」
「・・・はい。ルルーシュ様」
「すまないが、寝室まで連れて行ってくれないか?少し楽になったら眠くなってきた」
「かしこまりました」と、ジェレミアはうつ伏せになっているルルーシュの身体をそっと起こして、いつもと同じように抱き上げた。
ルルーシュを抱きかかえたその両腕に加わる重みに、ジェレミアは違和感を感じる。
じっとルルーシュの顔を見つめながら、動きを止めた。
「どうした?」
「・・・あの、ルルーシュ様?」
「なんだ?」
「・・・体重測定は・・・どうなさいましたか?」
「血液検査が先だったから、やってない」
「・・・そう、ですか・・・」
「体重測定がどうかしたのか?」
「い、いえ。なんでもありません」
何事もなかったかのように、ルルーシュを抱きかかえて歩き出したジェレミアは、内心穏やかではなかった。
持ち上げたルルーシュの体重が、明らかに重くなっていることに気づいたからだ。
―――・・・2〜3kg言ったところか・・・。
もしも、今日の健康診断で体重測定をしていたら、ルルーシュはショックを受けていただろう。
ルルーシュが勝手にショックを受けるのは構わないが、それで機嫌が悪くなるのは目に見えている。
不機嫌のとばっちりをまともに受けるのは、結局ジェレミアだ。
だから、体重測定ができなかったことに、ジェレミアは密かに心の中で安堵した。
ルルーシュを抱きかかえて、両手の塞がったジェレミアは、寝室の扉を背中で押すようにして開ける。
そして、目の前に広がった部屋の異常さに、目を見張った。
「・・・な、なんですか・・・これは?」
床と言わず、ベッドの上と言わず、辺り一面に、お菓子のクズやゴミ、スナック菓子の袋が散乱している。
それに混じって、ベッドの上には大量の本とゲームソフトが散らばっていた。
それは到底、皇帝の寝室にあるまじき光景だった。
「・・・ルルーシュ様!?」
「ち、違う!!誤解だ!俺じゃない。あいつらがやったんだ!」
「・・・あいつら、とは?」
「スザクとC.C.だ!人が具合が悪くて寝込んでいるベッドの上で、お菓子をつまみながらマンガを読み散らかしたり、ゲームをしたりしていたので怒鳴ってやったら、あいつら片付けもしないでそのままにして出て行ってしまったんだ・・・だからこれは俺の所為じゃない!」
「ルルーシュ様のご機嫌が悪いと、枢木からは聞いていましたが・・・?」
「機嫌が悪くなったのは、無神経なあいつらの所為だ!」
「では、ルルーシュ様は一口もお菓子を食べていないんですね?」
ジェレミアの声に、「・・・い、いや、それは・・・・」と、ルルーシュは口篭る。
そこは毎朝決まった時間に掃除がされているはずなのだから、部屋に散らばっている大量のお菓子のゴミの山は今日だけの分なのだろう。
スザクとC.C.の所為にしてはいるが、それを一緒に食べていたのなら、ルルーシュも同罪だ。
いや、それよりも、一体いつからこんなだらけた生活をしていたのかが問題だった。
ルルーシュの体重の増え具合からすると、一日や二日でのことではないように考えられる。
「とりあえず・・・、片付けてください!」
「なんで、俺が!?」
「ここはルルーシュ様のお部屋です」
「だ、だが、散らかしたのはスザクとC.C.だ!」
「ルルーシュ様もお食べになったのでしたら同罪です。それから、今日から間食は控えていただきます。お菓子の持ち込みも禁止です!」
「冗談じゃない!俺は育ち盛りなんだぞ!?」
「無意味に横に育たなくても結構です!」
「くッ・・・」
厳しく言ったジェレミアの言葉に反論できないルルーシュは、自分でも太った自覚があるのだろう。
抱き上げた身体を下ろして、片づけを促すと、ルルーシュは恨めしそうにジェレミアを睨みつけた。
「そんな顔をしても無駄です」と、冷たく突き放すと、今度は甘えるようにジェレミアの身体に抱きついてくる。
なにがなんでも自分で部屋を片付ける気はないらしい。
「ルルーシュ様・・・どうあっても、片付けをするおつもりはないんですね?」
「当たり前だ!間食を禁止された上に、なんで片付けなんかしなければならないんだ!?そんなに気になるんならお前が片付ければいいだろう!」
甘える仕草を見せつつも、逆切れ寸前のルルーシュに、ジェレミアは呆れ返ってものも言えない。
これ以上厳しく言えば、ルルーシュが攻撃的な性格を剥き出しにすることは目に見えて明らかだった。
仕方なく、ジェレミアはルルーシュの部屋のゴミを自分で片付けることにした。
黙々と手を動かしているジェレミアを、ルルーシュはベッドの端に腰掛けて、つまらなさそうに見ている。
「なぁジェレミア?」
「なんですか?」
「なんでお前は俺のところにいるんだ?俺の母さんに対する忠義ならもう充分だろう?」
「まぁ、そうですが・・・」
「お前の性格なら、俺よりも几帳面なシュナイゼルの方がよっぽど相性がよさそうだ。・・・なんだったら紹介状を書いてやろうか?」
「なにを言っているのですか?」
「お前をシュナイゼルのところに、間者として送り込んだら、さぞかし便利だろうと思ってな」
「私の正体など向こうはとっくに知っています」
「そうだが・・・お前のその無駄な色気でなんとかならないか?」
「・・・む、無駄な色気とはなんですか?」
「怒っているのか?」
「・・・別に・・・怒ってなど、いません」
そう言いながらも、少しムッとしたジェレミアの様子に、ルルーシュは笑っていた。
腰掛けていたベッドから立ち上がって、ルルーシュがジェレミアの腰に腕を巻きつける。
ルルーシュの突然の行動に、ジェレミアは動きを止めた。
「ルルーシュ様。手伝う気がないのでしたら、せめて邪魔をしないでください」
「・・・ダイエット・・・」
「は?」
「俺のダイエットに付き合ってくれるか?」
脈絡のないルルーシュの言葉に、ジェレミアは戸惑いつつも、「はい」と答えた。
ジェレミアにダイエットの必要などまったくないが、ルルーシュに「付き合え」と言われれば、それを断る理由もない。
その返事を聞いて、ルルーシュはニヤリと笑みを浮かべる。
腰に抱きつかれているジェレミアは、当然ルルーシュの黒い笑みに気づいてはいない。
そのまま腰を強く引かれて、床に押し倒されたジェレミアは困惑した。
「早速、付き合ってもらおうか?」
「な・・・なにを?」
「ダイエットに決まっている」
ジェレミアの上に馬乗りになったルルーシュは、欲情した瞳でジェレミアを見下ろしている。
「ル、ルルーシュ、さま・・・?」
「ダイエットには適度な運動が必要だろう?」
「ちょ・・・っと、待ってください」
「待てない。さっきからずっと我慢していたんだ」
「な・・・ッ!?」
「俺を誘った自覚がないのか?」
「わ、私は、誘ってなど・・・おりません!」
「お前の泣き顔は目の毒だ。怒った顔すらも可愛く見えてしまう・・・」
「お・・・お戯れは、お止めください!」
「褒めてやっているのだぞ?少しは喜んだらどうだ?」
「そ、そんなのは、少しも嬉しくありません!」
必死になって抵抗する、ジェレミアの手首を掴んで引き寄せると、手袋越しに口づけた。
顔を真っ赤にして焦っているジェレミアは、恥ずかしそうに視線を外す。
「俺のダイエットに付き合うと、お前さっき言ったよな?」
それから約半月後。
ほぼ元の体重に戻ったルルーシュの横には、やつれきったジェレミアの姿があった。
「Sacrifice=犠牲」